2008年08月23日
ピンチのあとに・・・
・・・ということで昨日の続きなんですが、
脂汗を浮かべつつ…ドコかにトイレは無いか?!とクルマを走らせていたところ・・・川沿いを少し下って行ったらウン良く公園があり、ピンチを脱することが出来ました(庵心)
さて、と・・・若干スッキリし(笑)ホッとした心持ちであらためて周りを眺めてみると・・・ナニやら特徴的な鉄のモニュメントらしきものや・・・
おぉっ!これは・・・???
コンなところに駅名票や踏み切りの警報器が!(謎)
・・・って、あまりにワザとらしい書き方で失礼しました(笑)
そう、ここ・・・筑後川沿いの諸富町には以前国鉄佐賀線が通っておりまして、「そういえば今アレはどうなっているんだろう?」と気になって、ここを通ってみることにしたのでした。
・・・で、そのアレですが・・・広い筑後川の真ん中に、こんな感じで佇んでおりました。
かなり遠くからでもその特徴的な姿は目立ちますが、あらためて近くから眺めてみると・・・
いやぁ〜〜〜、やはりナカナカ立派なお姿であります。
昭和10年に完成した筑後川橋梁(筑後川昇開橋)・・・正式名称は【筑後若津橋梁】なんだそうで、国鉄佐賀線の鉄道橋として建設され現在は遊歩道となっています。
そういえば入る時はソレどころではなくて気付かなかったけれど(笑)、トイレの壁面にもこのようなレリーフが・・・
ここでは【諸富鉄橋】との紹介ですが、橋の設計図がタイルに描かれています。
全長507mの筑後川昇開橋・・・ピンチの直後ではありましたが、何かにつけて「また今度…」なんて思って機会を失ったことは数知れず(涙)・・・だったので、少々パラグアイが気になりましたが・・・この機に渡ってみることにしました。
こちら諸富町は佐賀県、川の向こうは福岡県になります。
この日・・・強い南風が吹く中を、線路と枕木が描かれた遊歩道を歩いて行くと・・・徐々にその昇開橋の偉容が近づいてきました。
昔々、子供の頃・・・佐賀線の気動車に乗って渡って以来です。こうしてじっくり眺めるのは、もちろん初めて。
あの時は確か・・・鳥栖経由の方が早く行けるのにも関わらず、わざわざ瀬高で乗り換えて・・・佐世保の祖父の家に着くのがいつもより遅くなって、祖母から【遅かけん心配したたい!】と言われました(笑)
列車が到着した当時の佐賀駅はまだ平地駅で、真夏の暑い中・佐世保行きの列車を待った憶えがあります。そういえばこの路線、熊本−長崎を結んでいた【急行ちくご】なんて列車も走ってましたね。
・・・で、テクテク歩いてようやく橋の中央・可動部分にやって来ましたが・・・
ありゃ?!閉まってますよ。通れないの?!さっきは橋桁が下がってて、通れるみたいだったのだが・・・
よく見たら橋の通行可能時間が書いてあって、一日に8回通行出来るようです。通常は船の航行のために可動部分を上げてあるんですね。
少し待ったら通れる時間だったので、向こう岸まで渡ってみることにしました。
・・・で、待つことしばし・・・
サイレンが鳴り、やがてゆっくりと・・・音もなく目の前のウェイトが上がり始め、そして上の方からは可動式の橋桁が降り始めました。
間近で見ると、さらに大きく見えます・・・昇開橋。この可動式の橋桁だけでも48tあるそうですよ。この昇降部分は高さ30mの鉄塔に支えられており、その鉄塔の筑後若津側にある運転室で操作されています。
昔はここを列車が走ってたんですよね〜(遠い目)
その一度だけ乗った佐賀線のキハから、この昇開橋の様子を見ようと・・・窓から身を乗り出すようにして眺めたことが思い出されます。
あとで調べたら、佐賀線にはこの筑後川昇開橋以外にも【花宗川橋梁】なる可動橋があったそうです。
そちらは佐賀線廃止後に撤去され、さらにこの筑後川昇開橋も撤去されようとした時期があったそうですが・・・地元の強い要望で遊歩道として残されることになったそうです。
現在は重要文化財・機械遺産に指定されており、地元のシンボルとして愛されているようです。この日は少し前に行われたであろう七夕の飾り付け(短冊)が、橋の欄干部分にたくさん括り付けてありました。
こちらは福岡県・筑後若津側。ここもちょっとした公園になっています。
遊歩道部分には枕木と、モニュメントには懐かしい写真が残されていました。
昔はかなり大きな船が、頻繁に通ってたんですね。
通行時間があるのであまり長居せず、再び昇開橋を佐賀県側へと戻ります。
・・・で、ふと見ると・・・
橋の運転室の横には募金箱と、記念グッズが売ってあったので・・・
「これだけの施設を維持するのって、きっと莫大なお金がかかるんだろうなぁ〜」・・・と、我が身の【貧】ぶりを省みず(笑)、500円を募金。
パンフレットをいただき、それと…絵はがきとマグネット式のクリップを購入。
係員の方に挨拶して、可動橋をあとにすることにしました。
すると・・・あれ?気のせいかな???
なんか少し浮き上がってるような気がしますが・・・(笑)
まあ、ソレはソレとして、今から70年も前に作られた可動橋がこうして建っていること・動き続けていることにあらためて感慨を覚えました。
そんなこんなで・・・行き当たりばったりでたまたま渡ってみることになった筑後川昇開橋、列車が走ることはもうありませんが、これからも長く・可動橋として【動き】続けて欲しいものです。
・・・あ、それと・・・
昨日の【エツ】はこの遊歩道のモニュメントに描かれていたもので、日本では有明海のこの付近にしか生息していない魚だそうです。
脂汗を浮かべつつ…ドコかにトイレは無いか?!とクルマを走らせていたところ・・・川沿いを少し下って行ったらウン良く公園があり、ピンチを脱することが出来ました(庵心)
さて、と・・・若干スッキリし(笑)ホッとした心持ちであらためて周りを眺めてみると・・・ナニやら特徴的な鉄のモニュメントらしきものや・・・
おぉっ!これは・・・???
コンなところに駅名票や踏み切りの警報器が!(謎)
・・・って、あまりにワザとらしい書き方で失礼しました(笑)
そう、ここ・・・筑後川沿いの諸富町には以前国鉄佐賀線が通っておりまして、「そういえば今アレはどうなっているんだろう?」と気になって、ここを通ってみることにしたのでした。
・・・で、そのアレですが・・・広い筑後川の真ん中に、こんな感じで佇んでおりました。
かなり遠くからでもその特徴的な姿は目立ちますが、あらためて近くから眺めてみると・・・
いやぁ〜〜〜、やはりナカナカ立派なお姿であります。
昭和10年に完成した筑後川橋梁(筑後川昇開橋)・・・正式名称は【筑後若津橋梁】なんだそうで、国鉄佐賀線の鉄道橋として建設され現在は遊歩道となっています。
そういえば入る時はソレどころではなくて気付かなかったけれど(笑)、トイレの壁面にもこのようなレリーフが・・・
ここでは【諸富鉄橋】との紹介ですが、橋の設計図がタイルに描かれています。
全長507mの筑後川昇開橋・・・ピンチの直後ではありましたが、何かにつけて「また今度…」なんて思って機会を失ったことは数知れず(涙)・・・だったので、少々パラグアイが気になりましたが・・・この機に渡ってみることにしました。
こちら諸富町は佐賀県、川の向こうは福岡県になります。
この日・・・強い南風が吹く中を、線路と枕木が描かれた遊歩道を歩いて行くと・・・徐々にその昇開橋の偉容が近づいてきました。
昔々、子供の頃・・・佐賀線の気動車に乗って渡って以来です。こうしてじっくり眺めるのは、もちろん初めて。
あの時は確か・・・鳥栖経由の方が早く行けるのにも関わらず、わざわざ瀬高で乗り換えて・・・佐世保の祖父の家に着くのがいつもより遅くなって、祖母から【遅かけん心配したたい!】と言われました(笑)
列車が到着した当時の佐賀駅はまだ平地駅で、真夏の暑い中・佐世保行きの列車を待った憶えがあります。そういえばこの路線、熊本−長崎を結んでいた【急行ちくご】なんて列車も走ってましたね。
・・・で、テクテク歩いてようやく橋の中央・可動部分にやって来ましたが・・・
ありゃ?!閉まってますよ。通れないの?!さっきは橋桁が下がってて、通れるみたいだったのだが・・・
よく見たら橋の通行可能時間が書いてあって、一日に8回通行出来るようです。通常は船の航行のために可動部分を上げてあるんですね。
少し待ったら通れる時間だったので、向こう岸まで渡ってみることにしました。
・・・で、待つことしばし・・・
サイレンが鳴り、やがてゆっくりと・・・音もなく目の前のウェイトが上がり始め、そして上の方からは可動式の橋桁が降り始めました。
間近で見ると、さらに大きく見えます・・・昇開橋。この可動式の橋桁だけでも48tあるそうですよ。この昇降部分は高さ30mの鉄塔に支えられており、その鉄塔の筑後若津側にある運転室で操作されています。
昔はここを列車が走ってたんですよね〜(遠い目)
その一度だけ乗った佐賀線のキハから、この昇開橋の様子を見ようと・・・窓から身を乗り出すようにして眺めたことが思い出されます。
あとで調べたら、佐賀線にはこの筑後川昇開橋以外にも【花宗川橋梁】なる可動橋があったそうです。
そちらは佐賀線廃止後に撤去され、さらにこの筑後川昇開橋も撤去されようとした時期があったそうですが・・・地元の強い要望で遊歩道として残されることになったそうです。
現在は重要文化財・機械遺産に指定されており、地元のシンボルとして愛されているようです。この日は少し前に行われたであろう七夕の飾り付け(短冊)が、橋の欄干部分にたくさん括り付けてありました。
こちらは福岡県・筑後若津側。ここもちょっとした公園になっています。
遊歩道部分には枕木と、モニュメントには懐かしい写真が残されていました。
昔はかなり大きな船が、頻繁に通ってたんですね。
通行時間があるのであまり長居せず、再び昇開橋を佐賀県側へと戻ります。
・・・で、ふと見ると・・・
橋の運転室の横には募金箱と、記念グッズが売ってあったので・・・
「これだけの施設を維持するのって、きっと莫大なお金がかかるんだろうなぁ〜」・・・と、我が身の【貧】ぶりを省みず(笑)、500円を募金。
パンフレットをいただき、それと…絵はがきとマグネット式のクリップを購入。
係員の方に挨拶して、可動橋をあとにすることにしました。
すると・・・あれ?気のせいかな???
なんか少し浮き上がってるような気がしますが・・・(笑)
まあ、ソレはソレとして、今から70年も前に作られた可動橋がこうして建っていること・動き続けていることにあらためて感慨を覚えました。
そんなこんなで・・・行き当たりばったりでたまたま渡ってみることになった筑後川昇開橋、列車が走ることはもうありませんが、これからも長く・可動橋として【動き】続けて欲しいものです。
・・・あ、それと・・・
昨日の【エツ】はこの遊歩道のモニュメントに描かれていたもので、日本では有明海のこの付近にしか生息していない魚だそうです。
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この記事へのコメント
1. Posted by 蔵。 2008年08月23日 23:22
どぉ〜もですぅ。
なかなかユニークな公園にて
ピンチ脱糞・・・失礼・・・脱出
ナニよりでございました。(笑)
という事で本日も元気に
3回個室inしてしまいました
ことをご報告申し上げ
週末は【超回復】に努めたいと
考える次第でございます。(汗)
では.....またっ!
なかなかユニークな公園にて
ピンチ脱糞・・・失礼・・・脱出
ナニよりでございました。(笑)
という事で本日も元気に
3回個室inしてしまいました
ことをご報告申し上げ
週末は【超回復】に努めたいと
考える次第でございます。(汗)
では.....またっ!
2. Posted by あぷ 2008年08月24日 17:28
ど〜もです。ナニかとピンチ
お見舞い申し上げます。(恐)
という事で
秋の対策会議は
「ピンチ回避方法」について
という事でぇ〜(爆)
お見舞い申し上げます。(恐)
という事で
秋の対策会議は
「ピンチ回避方法」について
という事でぇ〜(爆)
3. Posted by nobu 2008年08月25日 17:37
蔵。さま、ど〜もです。
500mもあるこの橋の途中でアレに見舞われなかったことを神に感謝申し上げ、
今後はナニかと【食い改めて】ピンチに陥らないよう気をつけよう・・・と思った夏の一日でした。
まあ、昨日もまたピンチだったわけなんですが(笑)
では・・・また!!
500mもあるこの橋の途中でアレに見舞われなかったことを神に感謝申し上げ、
今後はナニかと【食い改めて】ピンチに陥らないよう気をつけよう・・・と思った夏の一日でした。
まあ、昨日もまたピンチだったわけなんですが(笑)
では・・・また!!
4. Posted by nobu 2008年08月25日 17:38
あぷさま、ど〜もです。
はい、では・・・
秋の会議を楽しみにしております。
昨夜も【赤点滅】別な意味のピンチでした(恐)
「助けて!」コールはほぼ毎日です
はい、では・・・
秋の会議を楽しみにしております。
昨夜も【赤点滅】別な意味のピンチでした(恐)
「助けて!」コールはほぼ毎日です